では、サツマイモの歴史を紐解いてみることといたそう。
サツマイモが薩摩(今の鹿児島県)に定着するのは、1705(宝永21)年に南薩摩山川の前田利右衛門が琉球からサツマイモを持ち帰って、栽培方法薩摩藩に伝えてからのことじゃから、日本での栽培の歴史はさほど古くはないということになるのぉ。
薩摩大隅一体は、火山灰でできたシラス土壌ゆえに、土地が痩せておる上、台風常襲地帯じゃから米などが育ちにくい土地柄なんじゃ。そのため、薩摩藩では火山灰にも台風にも強いサツマイモ栽培が奨励されたのじゃ。そのおかげで江戸時代に幾度となく訪れた飢饉の際も、山川では命を落とす人はいなかったんだと。そういう訳で、前田利右衛門は、サツマイモ普及の最大功労者と言われておる。
そして、前田利右衛門は、「甘藷翁」(方言では「カライモオンジョ」)と称されて、山川徳光神社(鹿児島県指宿市山川岡児ケ水)に祀られておるのじゃぞよ。 そしてそれまで薩摩藩では米や雑穀で造られていた焼酎が、1700 年代半ばには、サツマイ モで造られるのが主流になっていったんじゃ。
その後、昭和50 年代初頭の第一次焼酎ブーム、昭和60 年初頭の第二次ブームを経て、平成年代後半からの第三次ブームを迎え、鹿児島県産芋焼酎は、業界のけん引役として前進し続けておるのじゃぞい。 今、おいしい芋焼酎が飲めるのは、前田利右衛門のおかげなんじゃのぉ~。
【参考】「焼酎の基」(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会/SSI)
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