【歴史その2】平安から昭和時代の日本酒

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今に通じる日本酒造りのスタイルは、平安時代の頃から確立されてきました。日本酒の歴史を知ると、昔の日本人がいかに素晴らしい知恵と技術を持っていたかがわかります。しかしながら、昭和には戦争の影響もあって、日本酒は不遇の時代を過ごしました。

≪平安時代~鎌倉時代≫ 「僧坊酒」から発展、 「清酒」へ

平安時代頃から僧侶が寺院で日本酒造りを始めるようになり、これを「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶようになりました。代表的なものに奈良県奈良市の「菩提泉(ぼだいせん)」などがあります。
禅系寺院では飲酒は戒められていましたが、「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という隠語も生まれました。また、濁り部分を漉して、上澄みだけを飲むスタイルが生まれ、「清酒」という言葉が誕生しました。
鎌倉時代になると、日本酒造りは一般の造り酒屋(蔵元)が行うようになりました。

奈良の正暦寺(奈良県)にある「日本清酒発祥之地」の碑

≪戦国時代≫ 諸白造りによる品質向上と、本格的な大量生産の始まり

戦国時代になると、僧坊酒の後を継ぐように、伊丹(兵庫県)、池田(大阪府)などの酒郷が台頭し、効率的に清酒が造れるようになりました。
また、蒸留器や蒸留技術が伝来し、日本における焼酎造りが沖縄や南九州地方で始まりました。

≪江戸時代≫ 日本酒造りの 基盤が完成

江戸時代になると、現代でも通用する日本酒造りの基盤がほぼ完成し、「寒造り」が主流となります。また、「火入れ」という殺菌法が江戸時代に一般化します。醪を安全に発酵させていく手法である「三段仕込み」、日本酒造りの調を杜氏と呼ぶ「杜氏制度」などの確立も江戸時代でした。

 現在の兵庫県神戸市灘区、東灘区と西宮市は、江戸で「灘の生一本」と呼ばれ人気を博しました。酒造りに最適な仕込み水「宮水」があったことが最大の理由です。
また、灘の宮水(中硬水)を使用した酒が「男酒」として有名になるとともに、京都府京都市伏見地区の御香水(軟水)を使用したやわらかな口当たりのものは「女酒」と呼ばれ、人気が高まりました。

兵庫県の灘地方

≪明治時代~昭和前期≫ 近代化と徴税強化、戦争によるダメージ

明治時代に入ると政府は富国強兵策を進め、酒税の徴収を強化し、日清、日露戦争時には国家歳入の約30%を酒税が占めました。1904(明37)年、に国立醸造試験所が設立され、全国新酒鑑評会も開催されるようになって、酒質が飛躍的に向上しました。

製麹の様子
資料提供: 「丸眞正宗」醸造元 小山酒造株式会社(東京都北区) いずれも昭和26年の画像

政府は巨額の戦費を捻出するため、日本酒に対して造石税と庫石税という新たな税を課しました。1943(昭18)年には、酒類のすべてが配給制となり、政府の監査により級別制度が設けられました。蔵元も8000軒から4000軒にまで減少しました。
戦後、三倍増醸酒(略称、三増酒)という質の悪い酒が生産され、日本酒離れの一因となりました。
そして、ビールの台頭、洋食人気によるウイスキーブーム、万国博覧会以降のワインブームなどのため、1973年をピークに日本酒の消費量は減少し続けます。級別制度は1992年に廃止されました。

≪昭和後期≫ 淡麗辛口ブーム、吟醸ブーム

1970〜80年代には、これまでにないすっきりとした香味の「淡麗辛口」ブームが起こりました。さらには1980年代のバブル景気とともに「吟醸酒・大吟醸酒」ブームも起こり、若い世代や女性も日本酒を飲むようになっていきます。

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